十牛図って何?|「自分を見つける旅」を描いた禅のガイドマップ
禅の教え、「十牛図」
みなさん、こんにちは!くりちゃんです。
十牛図(じゅうぎゅうず)って、聞いたことありますか・・・?
十牛図は、禅の教えから生まれた10枚の絵で、
「牛を探す物語」が描かれています。
が、「牛を探す物語」と聞いて、何のことだろう?と思うかもしれません。
「牛」は、禅の教えでは、
心や、あるいは仏性(ぶっしょう)の象徴とされることが多く、
特に「煩悩に覆われた心」を、修行で「飼いならしていく」プロセスとして表現しているそう。
また、現代では一般的に
「真の自己」「本当の自分」「ありのままの自己」「魂の本質」と
解釈されることが多いようです。
迷って、探して、見つけて、そしてまた日常に戻る。
そんな「心の旅」を描いた、ちょっと不思議で奥深いガイドマップです。
ちょっと難しく感じるかもしれませんが、記事の後半で「現代風に表現するなら?」でまとめているので、最後まで読んでみてくださいね。
十牛図って一体なに?
2023年の十牛図との出会い
十牛図に初めて出会ったのは、2023年の夏、
日本の友だちが韓国に遊びに来てくれた時に一緒に行った百潭寺(ペクダムサ -백담사-)という山奥のお寺でした。
お寺の建物の壁に描かれていて、「あれなんだろう?」と友だちが気づいたのがきっかけでした。
その壁に描かれていた絵をもとに10枚の図を紹介しますね。
(ちょっと影になっているものもあって、見にくかったらすみません・・・。画像をクリックすると一枚ずつ拡大して見られます。)
なんか可愛いですよね。
10コマ漫画みたいです。
この図の原典は、12世紀の中国・宋代の禅僧「廓庵(かくあん)」によるもので、
「悟り」に至るまでの道のりを描いたもの。
流れはこのような感じ:
① 尋牛(じんぎゅう):牛(=真の自己)を探しに旅立つ
② 見跡(けんせき):牛の足跡を見つける
③ 見牛(けんぎゅう):牛の一部が見える
④ 得牛(とくぎゅう):牛をとらえる
⑤ 牧牛(ぼくぎゅう):牛を飼いならす
⑥ 騎牛帰家(きぎゅうきか):牛に乗って帰る
⑦ 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん):牛を忘れ、人(主体)が残る
⑧ 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう):人も牛も忘れる(空の境地)
⑨ 返本還源(へんぽんかんげん):原点に帰る(本来の自己)
⑩ 入鄽垂手(にってんすいしゅ):人里(本来の訳は町)に帰って人と関わる
シンプルに描かれているからこそ、深くて普遍的。
一見わかりやすく見えて、実はとても奥が深い図なんですね。
私が、特に十牛図で好きなのが、「最後には、人里に戻って、自然体のまま日常と関わっていく」ところです。
初めてそれを知ったとき、
「え、悟り開いたらそれで終わりじゃないんだ!?」
とびっくりしたのを覚えています。
「悟り」を開いたら、仏様みたいな存在になってそれで「完了」だと思っていたからです。
人里に降りて、「悟り」を開いた自分で、生きていく。
その在り方だけで、人にもやさしい循環を生む。
結構現実的というか、なんかやさしい思想ですよね。
そう考えると、「悟り」ももっと身近に感じられるかもしれません。
十牛図の「現代的解釈内観バージョン」を作るなら?
というか、そもそも「悟り」が何かが分からないですよね笑
(正直わたしも体験したことがないので「これです!」とは言えません)
しかも、仏教で言う「悟り」を開くには、厳しい修行をしなきゃいけないイメージがあります・・・!
でも、「牛」を「真の自己」と定義するのであれば、
もしかすると現代風に表現できるんじゃないか?と思い、
なるべくオリジナルの意味を崩さないように
「十牛図:現代内観バージョン」
を作ってみました・・・笑!(結構大変でした)
※一部ChatGPTとおしゃべりしながら一緒にまとめた内容も含まれています。
※ 一般的に「自己受容」と言われる心の状態は、十牛図でいうと④〜⑨のあたりを指しているように感じます。(結構幅が広い)
それぞれの段階で、少しずつ深まりながら、自分自身との関係性が変化していくのが特徴です。
※ 十牛図の原典では「⑧→⑨」の順に描かれていますが、実際には「⑨の安心感」が先に感じられる場合もあるように思います。また⑧と⑨が循環したり、同時に進行することもあるかもしれません。
私自身の体感としても、あるフェーズに入ったと思っても、また2〜3つ前の段階に揺り戻され、またしばらくすると次の図の状態に進むことがありました。
フェーズははっきりと区切られているものではなく、行き来しながら少しずつ定着していくものなんだと、今は思っています。
※「牛」も、フェーズによって、少し変化します。
最初の頃の牛=「本音」「軸」「核」「本当の気持ち」「ありたい自分」のような、探してるけどまだ掴めてない感覚
中盤の牛=「自分の軸」「自分らしさ」として、育てていく対象
後半の牛=「もう“自分らしさ”にも執着しない」自然体の境地
つまりは、モヤモヤしているところから、自己探求の旅を始めて、自分を見つけたら、それを大切に育てていく。
そうするとやがて、「自分らしさ」すら意識せず、ただ自然体で生きていける。
そして、その自然体の自分でこの社会で生きていく。
そんな風に私は解釈しました。
わたしにとっての牛とは
私がこの十牛図であった時、
「牛」が一体全体何を指しているの全然分からなかったんですよね。
そもそも「牛」って何?
というか「悟り」自体がどう言う状態かすら分からない。
私にとっての「牛」は、「やりたいこと」かな?
と思って、まず「やりたいこと」を探しに行ったんですね。
ただ、「やりたいこと」はなかなか見つからず、焦りもあったし苦しかったです。
そして、そのまま十牛図のことはすっかり忘れてしまいました。
その後、自分で内観・内省を始めて、「自分を受け入れることを体感」した後に
久しぶりに十牛図を見返してみると、その「自己受容へのステップ」そのものだったことに気づいたんです。
その過程で、「やりたいこと」は一番大切なことではなく
「そのままの自分自身」を受け入れて、認めることが大事だと気づきます。
その辺りは、この記事で詳しくお話ししています👇
【前半】やりたいことが自然に見えた理由
半年間の内観・内省で“心の声”に気づいた話
そして今、「牛」は
「本当の自分」「そのままの自分」「自然体な自分」
そんな自分を表しているんじゃないかと納得しています。
あなたにとっての「牛」はなんでしょうか?
1から10までは時間がかかる
この10枚の図、例えば「3から8にジャンプしたり、そんなことは可能なのかな?」って思ったんですが、多分無理・・・。
1つ1つ進んだり、時には順番が入れ替わったり、前の状態に戻ったり、また進んだりを繰り返しながら、全てのステップを結局は踏むんだろうなぁ。
そして、「あれ、変わったかも」と変化に気づいて、初めて自分のいるフェーズを実感していくもんなんだろうなぁと思っています。
焦らず、進んでいけば、いつの間にか次の図に移っている。
前の状態に戻っても、それもプロセスの一部と考え、焦らず生きる。
それはとってもゆるやかなペース。
そして、とにかく「自己対話」つまり、「自分の内面と向き合う」ことが鍵だと思います。
全ては、自分の中に答えがあり、「やりたいこと」も「本当の自分」もすでに自分の中にあるんだと私は考えています。
実は、そこにずっとあるんだけれども、
育つ過程や、環境・教育・社会的価値観・出会う人たちの影響で
良くも悪くも「本当の自分」と言うのは見えなくなってしまうことが
往々にしてあるのではないでしょうか?
だから、修行僧は俗世から離れて、山に籠るのかもしれませんね。
「自分を見つめる」という行為は、その外側のガラスの曇りを丁寧にとってあげて、自分を認識する。
そして、その自分を大切に生活する。
そこがブレなければ、いつの間にか「本当の自分」「自然体の自分」で、社会と関わって生きていけるようになる。
そう考えると、なんかいい話ですよね、十牛図。
山に籠るのも一つの方法ですが、日常を生きながらも、できなくはないと信じています。
私もまだ道半ばですが、一緒にゆっくり一歩一歩進んでいきましょう。
自分を見つける旅に、終わりはあるのか?
さて、今回は十牛図を紹介しましたが、
少し身近に感じてもらえていたら嬉しいです。
自分を見つけるたびに終わりはあるのでしょうか?
今の段階では、「本当の自分」を見つけること自体には、終わりというか瞬間があると思っています。
でも、その自分で社会を生きること、人々に還元すること、変わっていく自分をまた見つける、そこに終わりはないかもしれません。
私もいつか、自然体のまま、社会とつながりながら生きられたら良いなぁと思っています。
最近、この2冊の本を買ったので、この本を読んでまた、感想や学びがあったら共有しますね!
「あなたの牛を追いなさい」(枡野俊明・松重 豊 著 2023/1/19)
「十牛図に学ぶ」(横田南嶺 著 2020/8/31)
では、また次の記事でお会いしましょう。
おすすめ記事はこちら
セッション相手との「相性」は、受けた後の感覚でわかるもの。迷ったときの判断軸や、「この人かも」と感じられるポイントを、実体験をもとに紹介します。