【前編】「タロット×自己対話」セッションを始めた理由|問いと探求の20年

建物の向こう側に広がる夕日と空

セッションを始めようと思った理由

みなさんこんにちは、くりちゃんです。

実は、最近セッション始めました。(パチパチ)

これから、私がなぜ未来を当てる占いとはちょっと違う「タロットx自己対話」で本音を見つけるセッションを始めたのか、お話しできればと思います。

ちょっと長いので、【前編】【中編】【後編】毎週土曜日三つの記事に分けてお届けしますね!

今回は、【前編】です。


高校生の頃から「聴く人」だった

思い返すと、昔から、相談を受けることがすごく多かったです。

記憶としては、高校生くらいから・・・?

高校生なので、好きな人、友達関係、進路についての相談がメインですけどね。

人の話を聞くのがそもそも好きだったし、話をしてくれた人がちょっと元気になることが嬉しかった記憶があります。


大学で出会った「傾聴」と「質問」

大学時代も相変わらず、相談を受けることが好きで、

普段は全く連絡ないけど、相談があるときには連絡してくれる友達も結構いました。

その影響か、自然とカウンセリングや心理学にも興味を持ちました。

大学は、日本語や言葉が好きだったので文学部でしたが、心理学の授業もいくつかとっていました。

その中で、その後の自分のスタイルを確立していくことになるヒントを得た講義がありました。

残念ながら、教授の名前も、講義の名前も全然覚えていません・・・。

が、教室のテレビで、白黒のカウンセリング映像を見せられた記憶が鮮明に残っています。

そこで出会ったのが、「傾聴」と「問い」

「答え」はその人の中にあるから、

カウンセリングはカウンセラーのアドバイスをする場ではなく、

問いと傾聴でその人が答えに「気づく」ことを促すのがカウンセリングの基本、というものでした。

今思い返すと、現在カウンセリングの技法として基本になっている

臨床心理学者カール・ロジャーズの技法だったと思われます。

私は、その技法に感銘を受けて、それから人の相談を聞くときは、傾聴しながら、「問い」「繰り返し」「要約」で、「気づき」を促すように心がけてきました。

いや、心がけていましたって、全然職業カウンセリングをしているわけではないんですけどね。

友達や知り合いなので、ガチガチにそれをやろうというよりは、話を聞いていて、素直に、自分が疑問に思うことを問いかけるようにしていました。

でも、いつもその技法のことは頭の片隅にはあったと思います。


「傾聴と質問の限界」に気づいた会社員時代

社会人になってからも、同僚や後輩から相談を受けることが多く、仕事の中でも自然と話を聞く役になることが多くありました。

その中で、いろいろな限界を感じるようになります。

悩みや愚痴を聞いて、相手が少し楽になったり、前向きになる瞬間は確かに嬉しい。

けれど、話を聞いたその場で根本的に何かが変わることは、あまりありませんでした。

特に、職場の人間関係や環境の問題など、本人の力だけでは変えにくい悩みに直面するたびに、
「傾聴」や「問いかけ」だけでは届かない限界のようなものを感じるようになりました。

それでも、少しでも力になりたいという思いが強くて、自然と相手に共感しすぎてしまう。

相手の感情を自分の中に引き受けてしまって、自分の中で昇華できずに残ってしまう感覚

それが積み重なっていくと、私自身の心がだんだん苦しくなっていきました。

聞くことが好きで続けてきたはずなのに、心が疲れてしまう

自分のメンタルの限界もありました。

さらに年齢を重ね、人生経験が増える中で、問いやアドバイスをするときに、どうしても自分の価値観や人生観が混ざってしまうことにも気づくようになります。

「社会や私の正解が、その人の正解なわけではない」「そもそも人生に正解はない」と知っているからこそ、問いや助言をすること自体にも慎重になっていく。

その頃から明らかに「自分の意見」が薄れていることを感じていました。

(仕事にも実はこの影響が出ていました・・・笑)


「正解のない世界の中で、本当に寄り添うってどういうことなんだろう?」


そんな疑問とともに、

少しずつ、

  • これまで頼りにしてきた「傾聴」と「問い」のスタイルへの限界

  • 共感しすぎる心への限界

  • 自分の器への限界

を感じるようになっていったのです。

(今、文章で書いてみて改めて気づいたんですが、職業でやっているわけではないのにこの本気度、我ながらすごい笑)


「何かが違う」カウンセラーやコーチの道

こんな感じで、相談を受けることが多い人生で、同僚や友達にも「カウンセラーが向いてる」と言われることもよくあったんですよね。


私自身も、「心を支える仕事って素敵だなぁ」とずっと思っていました。


会社員としての仕事でも、「目の前の人の心を支えられた時」が一番やりがいを感じていましたし、

そして社会人経験をある程度積んだ今、自然と、その道に進みたいかもなぁと考えるようになりました。


自分でも実際にカウンセリング、コーチング、キャリアコンサルティングのセッションを受けてみたり、カウンセラーやコーチのワークショップや養成コースの説明会に参加したりもしました。

本当に、それぞれに素晴らしい点があって、職業として面白そうだなぁという気持ちはありました。


ちなみに、この記事にそれぞれの違いは書いていますのでまだ読んでいない方はこちらから👇

新緑が美しい街の写真

【前半】セッション選びに迷ったら

コーチング・カウンセリング・タロットを試してわかった違い



でも、自分にとっては何か違うという違和感も同時にあったんですね。

なんでか「これでいく!」という気持ちにはなれずに、やる気はしぼんでいってしまいました。

でも、職業や肩書きじゃなくても、「心を支える活動」「人生を応援する活動」が素敵だなという気持ちはあり続けました。

その想いを表現する現実的な方法・仕事で自分にピッタリなものがあるとまだ感じられていなかったんだと今は思います。


人生どん詰まりと、タロットとの出会い

ちょっと話は変わって、時間がさかのぼるんですが、5年前に、実はオーストラリアで一度タロットリーディングを受けたことがありまして。

今後の話の繋がりで大事なので、ちょっとその頃の話をしますね。

いやはや、そのときは、「もう、どの道を選択してもしんどい」っていう時期で、結構人生どん詰まりでした!

今だから笑えますが!!!

とにかくどっちの選択肢を選んでも、茨の道・・・みたいな。

人生詰みです。

人に相談したり、自分でも数ヶ月悩んでいたんですが、なかなか決められず。

もう限界、そろそろ選ばないといけないってところで見つけた、とあるオーストラリア人のタロットリーダーの方。

(なぜか日本人じゃなくて、オーストラリア人で探した私もなかなかのチャレンジャー)

藁にもすがる思いでリーディングを受けたんです。

それまで、占いは信じていないし、あまり興味はありませんでした。

学生の頃に横浜の中華街で、友だちと遊びで手相占いを受けたくらい。

で、そのオーストラリアでのタロットリーディングの経験も、また面白くて。

(いつかそのエピソードも書けたら書きますね笑 セッション受けるまでによくわからない試練がありました笑)

セッションでは、色々な未来のネガティブもポジティブもどちらの「可能性」も提示され、どちらかというと、「自分の本当の気持ちに気づくきっかけ」になったんです。

それで、どちらにせよ茨の道なんですが、納得できる茨の道を、覚悟して選ぶことができました。

その選択のおかげで、今があります。

このときは、正直「タロット=未来を当てる占い」だと思っていたんですね。

でも、実際に受けてみると、「ああ、提示された未来はあるけど、結局選ぶのは自分なんだ」とも思ったし、「納得して選ぶための手助けなんだな」とも感じました。

そんな経験が5年前にあったので、実は2年くらい前に趣味でやろうと思って、タロットカードを買っていたんです。

でも、なかなか78枚あるカードの意味を覚えるのが難しくて、挫折したまますっかり忘れて放置していました。

(今考えると、自分にはまだタイミングが早かったんだと思います)


カウンセリング&コーチマインドと共に歩んできた20年

高校生の頃から「聴く人」として生きてきて、大学ではロジャースの傾聴に出会いました。

それから気づけば、ずっと「人の本音に寄り添いながら、人生を応援したい」という想いを持って生きてきたのだと思います。

そんな想いを持っていたのに、自分のことは忘れて、自分は生きづらさに苦しんでいたっていうのもまた皮肉ですけどね。

でも、

  • 「人の本音に寄り添いながら、人生を応援したい」という想い

  • なのに「自分の人生は生きられていない」苦しさ

  • そして、興味はあったけど放置していた「タロット」

この3つの点が、繋がるタイミングが来るんですねー。

(今、スティーブ・ジョブスの点と点が線になる話、思い出しませんでしたか 笑?)

タロットが「自己対話」に変わった話、そして「タロット×自己対話」セッションにどう統合されていったのか、それについては、また次回の記事でお話ししたいと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました。

また来週。


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